尾瀬ハイキング (10月9~11日)

前回の3連休の沢に引き続き、今回も恋ノ岐の沢登りに行こうと思ったが、出発日当日の天気があまり芳しくなく、近くにある尾瀬でのハイキングに計画を変更。初日と、3日目は小雨に降られることもあったが、雨の尾瀬の雰囲気もなかなかであった。また、食料もそこそこ買い込んでいたので、テント内でも充実した時間を過ごせた。ただ、初日の夜はテントの床がウォーターベッドのようになるほどの雨で、水浸し。たまにこんなこともあるかなぁ。



メンバー:3名

#金曜日夜発で、現地へ

金曜日の夜に東京を出発し、代わり代わり運転し、5時間ほどかけて恋ノ岐の入渓地点に到着。やはりここまで遠い。朝も近いのでテントを張ってすぐに就寝。寝てから雨が降ったようで、起きてみるとテントは濡れていた。この時点で恋ノ岐を諦め、尾瀬ハイキングへと計画を変更した。

尾瀬の御池に車を止め、荷物の準備。沢道具はすべて車に起き、身軽な格好で出発する。


500円もかかるバスで沼山峠まで移動。ここから、十分に整備された登山道を行く。10時20分。


雨がぱらついていたので、傘をさしながらのハイキング。


沼山峠から30分ほどの歩きで、尾瀬沼が見えてきた。手前にある3本の木が印象的。天気は雨がぱらついていたし、ガスっていて、あまり良くない。

沼山峠から1時間ほどで長蔵小屋に到着。ビジターセンターで、尾瀬の動植物についての展示をじっくりと見る。尾瀬の模型や、オコジョなどの毛皮もあって面白かった。ちょうど昼どきだったこともあり、ビジターセンターの屋根の下で昼食。


昼食後、尾瀬沼の南ルートで見晴まで行く。途中まで木道があったが、だんだん道が荒れてきた。靴が汚れる。



#沼尻

13時半、沼尻に到着。沼が一望できるし、いいところ。長蔵小屋から1時間15分ほど。


休憩所も広く、多くの人が一服していた。ここでしばし休憩。



ここから、雨の中を見晴まで移動する。



#見晴到着

14時半時、見晴到着。見晴の端っこのほうにあるキャンプ場の、これまた隅っこにテントを張る(一人800円/日)。


早めの夕食。メニューはおでん。からしを忘れてしまったが、体はあったまるし、いい選択であった。



夜は、ずーっと雨が降り続く。おかげでテントが浸水。せっかく敷いたラグもぐちゃぐちゃ。


翌朝、起きて2mほどテントを移動。濡れたものも外にだして干す。日が差してきたのでちょうどいい。


テントの移動を終えた後、10時出発。木道に沿って山ノ鼻まで移動。天気は悪くない。


ただ、燧ヶ岳の完全な形を拝むことができなかった。


群馬県と福島県の境。


湿原はさらに続く。正面には至仏岳が見えるが、こちらもなかなか雲から、その全貌を表さない。


湿原の中には、いろいろな生き物がいた。イワナもいたし、イモリもいた。


燧ヶ岳をバックに1枚。


11時40分、山ノ鼻に到着。いい時間だったので、尾瀬ロッジの前で昼食。持ってきたラーメンで腹ごしらえ。


山ノ鼻から三叉を通り、今度は東電小屋のほうへ歩く。ヨッピ吊橋手前の湿原の中でお茶タイム。ガスも水も持ってきていたので、コーヒー&ドーナッツで休憩。


15時、東電小屋到着。三条の滝も見に行こうかという話も出たが、時間がかかりそうだったので、見晴まで戻る。



#見晴到着

テントに潜り込み、夕食の準備。


メニューはチーカマ入りのポトフ。こちらもなかなかいけた。夜からは雨。でも、テント場を少し動かしたので、浸水の心配はない。それにしても、天気予報は当たらない。



#3日目

昨晩の残りのポトフを平らげ、テントを撤収して、下山。雨がシトシトと降る。


燧裏林道を通って、御池まで。最初のうちは林道があって、雨が降ってもなんら問題はないが、道を進むに連れ、だんだんと土の上を歩く割合が増える。特に、途中の分岐で、平滑ノ滝の方に進むと、ほとんど泥の上。スニーカーで行ったものだから、靴はドロドロ。


8時50分。展望台からの平滑ノ滝。こんなところを沢登りしたら楽しそう。



そのまま、泥の道を歩いて、三条の滝に行く。


9時30分、三条の滝到着。雨の影響が大きいのだろうけど、すごい水量。天気は良くないのに、これを見物に来ている人は多く、展望台は混雑していた。


燧裏林道にある上田代あたりで休憩。こちらの湿原も小さいけど、森の中にパットひらけた場所で気持ちがいいところであった。天気はだいぶ良くなってきたが、燧ケ岳の山頂は全く望めない。


そのような、湿原がいくつか続く。


13時、駐車場到着。



どろどろになった靴を靴の洗い場で綺麗に洗い、着替えて東京へ出発。燧ヶ岳を登っていたら、今頃、ガスに隠れた山頂あたりにいたのだろうか、、、帰りは、那須塩原IC近くのホウライのレストランで、遅めの昼食をとって帰郷。渋滞に巻き込まれたため、東京についたのは21時を廻っていた。